イエスの招き

今年2025年、私たちは聖年の年を生きています。「すべての人にとって聖年が主イエスとの生き生きとした個人的な出会いとなりますように」との前教皇フランシスの勧めは私たちの生活の中心となっているでしょうか。
「わたしについて来なさい」とイエスが最初に声をかけたのは、ガリラヤ周辺ではたらく漁師たちですが、イエスは2000年が過ぎた現代社会の真っ只中で働く私たちにも呼びかけています。「全世界に行って、全ての人をわたしの弟子にしなさい」という呼びかけです。在俗会員(宣教者)として、多くの人たちに出会い、洗礼の同伴者になった数々の経験の中から、イエスから呼びかけられた人の体験を綴ります。
私の弟のことです。当時、8歳の弟を連れ毎日曜日に一緒にミサにあずかり、帰りは神父様のお話を語り合いました。家では二人で聖書をひらき、イエス・キリストの復活の話は弟の心に衝撃を与えていたようでした。その次の日、弟が書いた「イエス・キリストのことが世界中に知られるように」とメモが私の机の上に置かれていました。そのメモを聖書にはさみ、私は聖マリア在俗会に入会するために、家を離れました(当時は、共同生活をして養成がなされていました)。
年に1度の休暇で帰宅する度に弟は大人になり家業を継ぎ、結婚し、生活環境が変化していましたが、あまりうまくいかず、過度のお酒におぼれ自分で立つこともできないような状態になっていました。私は、かつて「最期はカトリックの門をくぐる」と言っていた弟に、洗礼のチャンスはないのだろうかと考えました。
その後、弟は入院をし、私は神父様に弟のことを話ました。すぐに神父様は車で病院に行ってくださり、弟に洗礼をさずけてくださいました。洗礼名は「聖家族のヨゼフ」でした。弟はその翌日に亡くなりましたが、自分の身も心も洗礼によって清められたことを私たちに知らせてくれたようでもありました。(K・U)
「希望は私たちを欺くことがありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(「希望は欺かない」2025の通常聖年公布の大勅書」