聖マリア在俗会
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私たちの“今”

神の母聖マリア

2026年1月4日(日)

    、哀れみと祝福を私たちに

      あなたの顔の光を私たちの上の照らしてください。

      あなたの技が世界に知られ

      救いがすべての国に知られるように。(詩編67)  

 

新年、あけましておめでとうございます。

今年も「神の母聖マリア」の祭日で始まりました。

イエスの誕生の歴史の中で、聖マリアはどのように生きてこられたのでしょうか。

聖書にある、受胎告知、十字架のもとでの悲しみのマリアについて彼女の思いを深めていきたいと思います。

天使のお告げを受けたマリアは喜びどころか大きな不安を持たれたのではないでしょうか。周り(世間)はマリアの受諾を受け入れ難かったでしょう。周りの目、噂に対して、それを黙して必死に耐えられた姿が浮かんできます。最愛のわが子が罪人のように十字架刑にかけられ、その苦しみのもとに佇まれたマリア。その不条理な出来事に対して何の手立てもできない状況に、くやしさ、悲しみ,慟哭があったに違いありません。人間としてのマリアには多くの苦しみがありました。もちろん、そこで、その周り人々(弟子たち)の理解と援助があったとしても。マリアをこのような苦しみに耐えうる聖霊の力がなければイエスの使命は果たされなかったでしょう。ここでは聖ヨゼフや弟子たちにも聖霊の力強い働きがあったと思います。

この中で沈黙しておられたマリアの心情を思います。出来事の不可解さ、理解できない状況にただ聖霊に祈り、黙しておられた態度を我ことにしたいと思います。突然遭遇する事件、事故、災害・・・、今、私たちが生きているこの世の中にもなんと苦しみが多いことでしょう。

また、聖書は聖マリアの喜びの時があったことに触れています。。とすればそれはイエスの子供時代ではないでしょうか。日々、成長していくわが子と共にいることの幸せがありました。(ルカ2・40)このように聖書で語られない聖マリアの姿から私たちは自分の生き様を照らし合わせて、家族とともに生きることの幸せを深く感じ取ります。古代から教会ではマリアの「神の母」であるという称号について幾度となく論争されてきました。そして現代、マリアは神の母として、教会の母、私たちの母として、聖霊に包まれながら私たちと共に歩んでくださっています。(M・F)参考文献―ルカ福音書:マリアーキリストにおける恵と希望:女性の尊厳と使命(教皇ヨハネ・パウロ2世使徒的書簡)etc          

 

 

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